せっかくですので、『となりのアブダラくん』執筆中のことを、つらつらと書きつづります。
本作を書くにあたって、2018年秋から多くの取材を重ねてきました。
(ちょうど、『天を掃け』の執筆と重なっていた時期ですね)
ざっと数えるだけでも、
イスラム教
多文化・海外ルーツの子どもたち・移民
やさしい日本語
取り出し授業
小学校(小学生向けの著書ははじめて)
これだけのことを、物語を執筆するにあたって、必要とされる分量以上に細かく調べなくてはいけませんでした。
これは、何も、だから大変苦労した!!という話ではなく(プロ作家なら、だれでも当たり前にやっていることですので)新しい知識がどんどん増えていくのは、私にとってとてもエキサイティングで楽しい日々でありました。
対面取材だけでなく、たくさんの参考文献や関連図書に目をとおしましたが、そのなかでもひときわ印象に残った著書があります。
それはこちら、、
『ふるさとって呼んでもいいですか 6歳で移民になった私の物語』
大月書店/ナディ著
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b453887.html
1991年、出稼ぎ目的の両親とイランから日本へ来て、28年が経ちました。当時6歳だった頃の私から、この物語は始まります。#ふるさとって呼んでもいいですか
— ナディ 『ふるさとって呼んでもいいですか』発売中 (@Na_dy_) June 10, 2019
大月書店より、6/17発売です。
「外国で暮らすってどういうこと?」
「異文化ルーツって例えばなに?」
多くの人の役に立ちますように☆ pic.twitter.com/sOlyNBvGZV
(上記は、ナディさんのTwitterより転載いたしました)
最近、大変話題になっている本ですので、ご覧になったことのある方も多いかもしれませんね。
こちらは6月に発売された本です。私が手に入れて拝読したのが7月。『となりのアブダラくん』発売が11月ですから、まさにほぼ最終的な推敲の真っ最中でした。
『ふるさとって呼んでもいいですか』は、6歳のころに家族とイランから日本にやってきたイラン人の女の子(ナディさん)が、本当にたくさんの困難と直面しながら、小学校~大学まで日本で過ごした日々をつづった、ノンフィクションの半生記です。
それまで、私が読んできた移民関連の資料図書といえば、海外の資料をのぞき、ほぼすべて受け入れ側である「日本人」サイドから語られていました。
ですが、この本はちがいます。
いわゆる「デカセギ労働者」である両親につれられて来日し、テレビで日本語をおぼえ、在留資格をえるために家族で戦ってきた少女(いまは大人の女性です)が、ナマの言葉で語った本なんです。
そして、それは、もちろん流暢な日本語で書かれているんです。
だって、ナディさんは、6歳から日本で育っているのだから、そうなんです。
これが意味するところが、おわかりでしょうか。
読んでいる最中、頭がくらくらしました。
(これは、この本は、すごいぞ。これが「リアル」だぞ。これ以外にどんなリアルがあるっていうんだ。同じ経験をしていない私の言葉で、現実でない物語で、これ以上のリアルが描けるわけがない)
制作の最終局面で、私はすっかり自信をうしなってしまったのです。
ちょうどメールをする機会のあった、当時の担当編集者に泣きつきました。
「ナディさんの本を読みました。もう、小中学生は、(私の本など読まず)この本を読めばいいんじゃないでしょうか」
……ざっとこんな内容。
いま思うと恥ずかしい、とんでもない弱音です!!!
担当さんも、ぎょっとされたと思いますが(笑)
でも、電話でこんなふうに言ってくれました。
「黒川さん。ナディさんの本を読まない(読む機会・環境がない)子どもたちに、届ける本をつくりましょう」
その言葉もまた、私の心のどこかには刺さり、何とかモチベーションを回復することができました。担当さんには、世話のかかる作家まるだしで、大変申し訳なかったですが笑
『夜と霧』という有名な映像作品があります。ユダヤ人精神分析学者ヴィクトール.E.フランクルが自身のナチス強制収容所体験をつづった有名な原作を、アラン・レネ監督が32分の映像にしたドキュメンタリー作品です。
短いモノクロ映像。流麗な音楽が流れるなか、「淡々」としたナレーションと共に、当時のニュースフィルムや強制収容所で撮られた写真が、「淡々」と映しだされます。
目を覆いたくなる部分ばかりですが、私はときどきこの映像作品を見返します。
人間の(私のなかにもあるはずの)おぞましさを忘れてはならないと心に刻むと同時に、見返すたびに、ドキュメンタリー作品の力におののきます。
「これこそがリアルだ」と思います。
フィクションで、これを上回るリアルが描けるはずがないと。
『夜と霧』とはまったく関係はありませんが、ナディさんの御本を読んで、私は同じようなことを感じました。
ノンフィクションには、メッセージをストレートに伝えるものすごい力がある。
ただ、その一方で、書き手として、読み手として、私はやはりフィクションの力を信じています。
物語のなかでこそ輝く、現実を超えるリアリティが、きっとあると思っています。私などには、とうてい、まだまだ、書ける気がしませんが……。
フィクションにはフィクションの力があると信じて、今後も書いていきたいと思います。
『ふるさとって呼んでもいいですか』、本当に素晴らしい作品ですので、ぜひ、ぜひ、ご一読ください!!